『一九八四年』ジョージ・オーウェルを読んで思ったこと
どうやら、ここ最近、SF(サイエンスフィクション)人気が徐々に復活しているらしい。
SFなんて読んだことないという人は、結構多いと思いますが、話題の小説や映画やアニメも、昔のSFからインスパイアを受けてる作品がかなりあるため、有名どころを知っているだけで、今の作品を見る目がかなり変わります。
そこで、名作中の名作『一九八四年』を紹介しようと思います。
攻殻機動隊 sac_2045は、この『一九八四年』が元ネタになっています。
村上春樹の『1Q84』もこの作品の影響を受けていると、本人が語っています。
あらすじ
この本を自分なりにまとめると、国家があらゆる面で人々を支配する「超管理社会」があるとしたら、私たちの生活はどうなってしまうのだろう?
そんな世界観を空想で練り上げて、その中で生活する人々を想像してみると、様々な社会問題や人間の葛藤が浮かび上がってきた
っといった内容のSF小説です。
超管理社会ってどんな社会になるんだろう?
超管理社会とは、国が低コストで存続するために、人間の生活を含め、あらゆることが最適化された社会です。
ですから、国にとって都合の悪いことは、起こらないように管理されます。
思考、結婚、言語などのあらゆる市民生活が統制されます。
例えば、この話の世界では、
「テレスクリーン」と呼ばれる双方向のテレビがあって、
自宅を含め、人々の行動は常に生活が監視下におかれます。
国の定めたことから少しでも逸脱したら(単にそのことを頭の中で考えるだけでも)
すぐに「思考警察」がやってきて逮捕されてしまいます。
主人公のオーウェルは役人で、過去の新聞や出版物など、あらゆる情報を書き換える仕事についています。
国にとって都合の悪い記録は、全て書き換えれます。
当然、「事実の記録」は残りません。
そして本当に何が起こったかは人々の「記憶」の中にしか存在しなくなります。(ちなみに、一般の人々は、日記のように、何かを書くということは許されていません。だから事実の記録は一切残らない世界なのです…)
国家によって、書き換えられた都合の良い記録が、歴史として残っていくのわけですね。
この小説の世界は恐ろしい!
と思いながら、現実から全くかけ離れているかというとそういうわけでもない気がして、非常に示唆的です。
もうこれ以上は書きませんが、他にも、この小説の世界の中だけの特有の考え方が、たくさんあり、めちゃくちゃ面白いです。
他の読者はどんなことを思ったか(読書メーターとAmazonとレビューまとめ)
小説だからもちろん空想の話なのだけれど、実際の社会の未来を映し出しているように感じ取っている人が多いみたいです。
吉田 章紘この作品が1948年に書かれた作品だと考えるとかなりの発想力である。スターリンの社会主義思想がメジャーになった未来的な感じか?テレスクリーンやニュースピークや二重思考は想像力を掻き立てられるし、それらテクノロジーや発想力が究極の管理社会を目指すものだとしたら現在の中国にもあてはまるし、北朝鮮などは実践中かもしれない。人々は監視しあい、思わしくない過去は書き換えられる。そして言葉の簡略化、ビッグブラザーは見ている。1984年という未来を描いた歴史的問題作である。
確かに、1948年に書かれた作品だと思うとゾッとするほどの想像力…
これは紛れもない「いま」ではないか。そう錯覚する描写に何度も遭遇する。改竄、破棄、二重思考。ことばを奪われ、読むことも書くことも禁止されたら、ぼくだってとても生きてはいけない。そうだ、このスミス・Wはぼく自身なんだ。1984年。それは小説の書かれた当時、35年後の未来だった。ぼくの読んだ2019年からは、35年前の過去にあたる。そんな偶然の一致に、はっとする。作者の想像より倍かかって、未来だった過去は現在に折りたたまれる。あるいは遡って小説の書かれた年を、1984年に書き換える必要があるのかもしれないな。
今に通じるところは、大いにあると思う。AI社会の未来が、何事も最適化された超管理社会だとしたら、、、